BSF(Bible study fellowship)
こんばんは!
数日前に、私が毎週取り組んできた、聖書を学ぶ会(BSF Bible study fellowship)の最後のセッションが終了いたしました!
昨年の9月から始まり、聖書の「使徒の働き」を中心に、9ヶ月学んできました。 そこで学んできた事を簡単にシャアさせてください!
「使徒の働き」は、 初代のクリスチャンの働きが書かれています。
イエス様が十字架にかけられ、甦られたのち、弟子たちの前に現れ、40日後天にあげられた(キリスト教のペンテコステ)後、どうやって、弟子たちが信仰を守ってきたのか、 その間、様々な迫害を通して、どの様に、ローマへの伝道の道が開かれてきたのかが、書かれています。後半はパウロの伝道旅行を通しての書簡も勉強しました。
この学びを終えて、 初代のクリスチャンの歩みを通して、 改めて 自分の信仰の歩みを振り返ることができました。
まず、初代のクリスチャンたちの葛藤は、古い慣習に囚われていたことでした。
規則を守って、良い行いをする事で自分を正当化していた人たちにとって、多くの、その規則に基づく慣習は大切なものでした。 具体的に、新たにクリスチャンになった人たちに、ユダヤ人が守っていた慣習をプラスさせるべきだ!と考える人たちも多くいました。 使徒たち自身も迷いながらでした。 その中で、神様からの啓示があったり、イエス様から学んできたことに立ち返りことができました。 そして、ユダヤ教の律法主義から、抜け出た、神様を信じるだけで、恵だけで、救いがあるクリスチャンのファンデーションが出来上がってきました。
自分のクリスチャンになってからの歩みも、自分の行いとは一切関係なく、信じる信仰によって、クリスチャンになったのに、 知らない間に、良い行いをすることに一生懸命になっていたりすることが多いことに気が付きました。
もちろん、良い行いをする事は良い事ですが、それが、自分を正当化するためだったり、 強迫観念からきていたら、偽善者になりかねませんよね。😥
そして、
もっと頑張って、
神様から喜ばれるようになりたいと!思う気持ちが強く、自分で自分を苦しくさせているような事もあったとこにも気がつきました。
頑張って無理して行動している時は、周りにいる人をも、疲れさせてしまいます。
神様につながって、喜びに満ちて、その喜びが自然と周りの人にも広がって、みんなが喜びに満たされていく、
本来の神様の恵みから、違ったものになってしまいます。 初心に戻れて、自分の力に頼って頑張らなくていいことにも、改めて気がつかされました。
自分の力に頼ると明らかな限界がありますが、神様に頼ると、この世の常識とは明らかに異なる、決断ができたり、
状況に左右されない、心の安心が得られることに、
自分自身、いつも驚きます。✨✨✨✨✨✨
自分の内面を見る時、 神様からの多くの恵みを体験しているにもかかわらず、 どこまで行っても、“自分”と言う自我があることに、がっかりしてしまう事もありますが、神様に委ねる時、明らかに神様からのものだ!と言う賢い決断ができたり、自我から解放された思いが与えられる事に感謝の気持ちでいっぱいになります。
それでも、初代のクリスチャンが苦労してきたように、神様の素晴らしさを伝えるのは、難しいです。 違う価値観、違う宗教を信じている方もたくさんいるなかで、どうやって伝えられるか?🤔 と考えた時、やはり初代のクリスチャンたちがやってきたように、聖書の言葉(神様の約束)と自分の生きた経験を通して、伝えていくことでいいのだと思えて、新たな励みとなりました。
これからも今までの私の人生で受けてきた神様の恵みをご紹介させてください!
最後に、偉大な伝道者であるパウロは、ローマで、監禁生活の中、時間がたっぷりあったせいでしょう〜😅 自分が立ち上げて行った教会の人たちに向けて、手紙を書き続けました。 その手紙が残されて、聖書に加えられています。 そして、聖書を読む世界中の人たちへの励まし、助けとなっています。
今、コロナで、似たような監禁生活?😅のなか、私自身、神様の恵みを言葉に出来るこの状況に、感謝しています。
拙い文章を読んでくださって有難うございます。
読んでくださっているお一人お一人に神様の祝福がありますように!🙏🙏🙏
あなた方は、恵のゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことでなく、神からの賜物です。 行いによるのではありません。誰も誇ることがないためです エペソ人への手紙2 :8ー9
目が見たことのないもの、 耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの、 神を愛するもののために、神の備えてくださったものは、みなそうである。 コリント人への手紙第一2:9